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中学・高校で一度は触れる方丈記。
でも,知っているのは冒頭だけでは? 平安と鎌倉との移行期は,源平合戦だけではなくて,地震などの超自然現象に人々が苦しめられた時代でもありました。 方丈記は,そういう時代の様子を本当にありありと教えてくれます。 古典は堅苦しくて,初心者には敷居が高いですよね。 本書は,類書とはちょっと違って,タイトルのとおり,たしかにすらすら読めます。 注も最低限度に絞られていて,学術的には大事かも知れないけれど,まあ我々には必要のない蘊蓄は最初から書かれていません。 ですから,いちいち頁を進めたり戻ったりしなくても意味が分かります。 すらすら読める方丈記中野 孝次 講談社 刊 発売日 2003-02 発送可能時期:通常24時間以内に発送 オススメ度:★★★★ 現代語訳と原文と著者の思いが一つに。 人生の折に触れなんども方丈記を読み返したという著者の訳は非常に わかりやすく、要所要所において著者の理解が参考に述べられている のも大変に興味深い。あくまで、参考程度に慎ましやかに添えられて いるそれぞれの参考の意見自体方丈記の魅力を高めている。 この本を読み、私は古典への親しみを一層深くした。これは、 訳者の力によるところが大きいように思う。大変良い本だった 現在の価格はコチラ≫ |
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かつては作家性ばかりが中心命題に据えられていた文学研究も、とかく近年になって様々な理論が流入し研究という方法論そのものが新たなパラダイムを迎えようとしている。そんな中で、数多くの文学理論は出現したが、しかし、他方、文学理論が乱立し過ぎたとの見方もある。錯綜する数多の文学理論の中から、果たして自らの研究対象には果たしてどのようなアプローチが必要なのか、そして或いは可能なのか。入門書という性質上、その答えが本書にあるわけではないが、少なくとも本書はそれを考えていく上で大きな指針となるに違いない。また、文学や文学研究に興味が無い人にとっても、あまり知られていない文学研究の現状を知る上では最良の書となっている。 文学理論の入門書としてはイーグルトンの『文学とは何か』が有名ですが、構造主義・ポスト構造主義の説明がやや粗雑であり、さすがに古びてきている感が否めません。
その点この本は、テーマ別に基本からアップ・トゥ・デイトな話題まで、簡にして要を得た説明がなされています。初学者なら、丁寧に読み進めていけば、目からうろこが何枚も落ちること請け合いです。ぼくはイーグルトンのものよりもこちらをお勧めします。 ただ、原著と併せて読むのをお勧めします。入門書を書かせたらアメリカ批評会で右に出るものはいないカラーのこと、やさしい英語で書かれているので、大学生1,2年生レベルの英語力でも十分読みこなせると思いますよ。 文学理論ジョナサン・カラー 岩波書店 刊 発売日 2003-09-06 価格:¥1,470(税込) 発送可能時期:通常2日間以内に発送 オススメ度:★★★★ 文学とはまったくもって研究しにくい学問である。 理系のような実験もないし、文系と比較しても、たとえば死刑廃止論とか、 動物愛護の倫理問題のように、明確な問題がない。 小説や詩や演劇などを読んで、楽しむことはできるが、さてそれを論じよと言われれば、 どうしてよいかわからないものである。 本書は、主に近現代を中心に、英米文学・文化研究における理論を概説したもの。 まず、そもそも理論とは何ぞや、というところから始まって、文学の 解釈のいろいろなやり方、文化研究の現在などを紹介していく。 (解釈、フェミニズム、精神分析、言語学、セクシュアリティ、詩学などの観点から) データも問題もない、ただのおはなしを一体いかに研究し、 批評家たちはそれによって何を目指そうとしてきたのかが述べられている。 現在の価格はコチラ≫ 7、8章はところどころ難しいが、全体的には、タイトルの与える印象とは逆に、 非常に平易でわかりやすく、なるほど!と思うことしきりであった。 そして、文学は、そのまま会社の仕事で使えるとか、そういう意味での実用性は確かにないが、 十分に存在する意義も、研究される意義もあるのだということがよく伝わってきた。 文学部不要論者、文学部志望の子供に反対する親などにこそ読んで欲しい本。 |
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レムの作品をある程度読んでいる人なら、迷わず買うべきです。文学エッセイと言いつつ、これもれっきとしたSFだと思いました。
彼の作品で、所謂3部作と呼ばれる「エデン」「ソラリス」「無敵」を発表年代順に読めば明らかなように、「未知」に対しての人間の存在、というか有り様について、レムが一種の回答を持ってそれぞれの作品に取り組んでいたことが、そのままそれぞれの作品のテーマとなっているのですが、本書を読んで新たにそのテーマの真髄が確認できます。その昔、多くのSF作家の構成主義的作品を強く非難していたことや、ディックと喧嘩したことなど、レムには逸話も多いですが、ここまで一貫している作家は他にいないかもしれません。 先日読売新聞に掲載されていた沼野氏による作品紹介も、非常に興味深い記事でした。多くの人がこの作品を手に取ることを期待させます。 サンリオ文庫なき今となっては、レム作品に限らず、国書刊行会には大いに期待するところですが、「マゼラン星雲」は…やっぱり一生読めないのかなぁ。 高い城・文学エッセイスタニスワフ レム 国書刊行会 刊 発売日 2004-12 価格:¥2,940(税込) 発送可能時期:通常1〜2週間以内に発送 オススメ度:★★★★★ 並ぶ者の無い程の大作家! 本書はスタニスワフ・レムの「思想」と「創作法」に迫る本と言えるでしょう。レムの自伝的小説「高い城」をはじめ、エッセイ・評論などで構成されており、今まで≪レム≫という稀代の大作家の作品にしか接する事が出来なかった訳ですが、本書を読む事で≪レム≫がいったいどこを見ているのか、何を考えて執筆活動をしているのかを知る重要な手がかりを得る事が出来ます。はっきり言って、全編を通して読むにはかなりの『意欲と忍耐』が必要になる事でしょうが、それを超えて更に読むべき価値があります。本書を読まれる方はすでにレムの作品は何冊かお読みの方でしょうから、老婆心に終わる事でしょう。『思索小説』というべき分野を切り開いた天才の内面を垣間見ることが出来る良書です。出来るだけ多くの人に読んで欲しいものです…。 現在の価格はコチラ≫ |
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いつにも増して、幾多の視点、問題点が目まぐるしく提示され、その流れの行き着く先が見えない。一見、思いつきの連鎖のようにも見える。そう、読み始めは。ところが第五章あたりから、霧が晴れたように論旨の中心が見えてくる。終章から逆読みしていくと良いかもしれない。
この本、憲法前文の連作、「物語の体操」、「サブカルチャー文学論」、「物語消滅論」、「憲法力」といった大塚の最近の仕事の意味を包括的に捉えるためのハブのような役割を果たしている。“大塚はネットを過小視してるんじゃないか?”と浅はかなヨミをしていたんだけど全く違った。“ネットにさわらない”大塚だからこそ、 “ネットの力”を客観的に掌握していることが、この著書でわかった。 “「私」の存在証明”“自らが発信者になりたいという欲望”が活字メディアと結びついたのがそもそも“近代文学の成立”だったのではないか、と大塚は言う。ところが「近代文学」は、「作者」となった側が「読者」との間に一線を引くことで特権化し、「誰でも発言者になれる社会」への可能性を見失ってしまった。「コミケ」はひとつの突破口で、あれは“「受け手」が大挙して「送り手」の側に越境していく、巨大な運動だった”。大塚は決してそうした欲求、運動を全面肯定する訳ではなく、“表現したいものがあるから表現するのではなく、送り手になりたいからこそ、「本」を作る必要があり、そのために「まんがを描く」のだ”といったシニカルな指摘も忘れないが。そしてネット、ブログは、「近代文学」の早回しの再現であり、今度こそ、「あなたたち(「既得権」としてのマスコミ)は私たち(ブロガー)とどう違うのか」という、「送り手」となった「受け手」の問いに答えていくべきだと大塚は言う。もう一歩先の論議、「公民の民俗学」につながってく部分はまだまだ弱いけど、ちょっと可能性を感じられる著書だった。 更新期の文学大塚 英志 春秋社 刊 発売日 2005-12 発送可能時期:通常24時間以内に発送 ひさかたぶりに批評を読んで興奮した。柄谷行人の『日本近代文学の起源』か蓮実重彦の『小説から遠く離れて』以来の衝撃か。今、小説も批評もなにを書いても徒手空拳である状況に風穴を空けようとする深いヒントが散見される。ファウスト系文学と舞城王太郎登場の陥穽、純文学の自立と採算性、明治期の自然主義文学の発生とネットコミュニティにおける「私」語りの類遠性、ナチズムとガンダム的意匠の親しさ、著作物の2次使用による作者の消滅……大塚英志は年々その思考の先鋭性とラディカルさを増していっているように思う。著者の思考スピードに伴奏するように、読み出すと止まらずひと息に読んでしまった。創作・実作を志す方には必読の書に思えてならない。 現在の価格はコチラ≫ 大塚は斎藤環との対談(『「戦時下」のおたく』所収)の中で、本書をライトノベルズ論だと述べている。ただし、現今の「文学」のライトノベルズ化という趨勢を念頭に置く議論だ。骨子は実はとても単純で、要するに舞城王太郎に代表されるような新しい書き手たちに向かって、「いつまで無自覚に『自分語り』に埋没してるんだ。他者とコミュニケートするための公共性を立ち上げるのが『文学』の仕事だろ!」とハッパをかけている。 もちろん、途上でいろいろ興味深い指摘はなされている。自然主義→私小説という経路とは別の、柳田民俗学に胚胎していた「文学」のもう一つの可能性。「物語」の管理・批判能力養成ギプスとしての物語創作支援ソフトの構想。明治40年前後の反復としての「文学」更新期たる「現在」という認識(これってズバリ高橋源一郎『日本文学盛衰史』だから、本書の「『電車男』の正体が高橋源一郎であったりすれば、文芸誌内『文学』は自ら次の局面を開けたのだろうが」(p117)という件りには爆笑した)。ネット・ウヨに対する「『近代』が『大衆』に与えた不安定な『私』の最も容易な回収先は『国家』なのだという『近代の反復』」(p124)という評言。憲法第9条が「文学」にとっていかに本質的な問題かという主張。 しかし、ここにレビューを「投稿」している人間にとって無視できないのは、大塚の匿名性批判だろう。『サブカルチャー文学論』所収の舞城論でも、ほとんどこの1点で舞城を批判していた。それをスルーして、ここで大塚を評価するのは滑稽の極みかもしれない。それはずっと引っ掛かっていた。しかし開き直るつもりはないが、大塚の言葉を重く受け止めながらも、匿名性を擁護する立場はあると私は考えている。 |
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すべてに適用できる興味深い視点があります
アゴン、アレア、ミミクリ、イリンクス、の四つの要素が単に遊びの要素だと言いたかった<だけ>ではない。そこがじつに面白い内容のです。実際にはー、人間のすべての生真面目な活動や、重要だと思われるすべてが、このような遊びから、発しているかもしれない、という視点の転換を促すような問題作でもあります。人間の文明の活動の隣に昆虫の世界の現象を提示したりしながら、カイヨワはアナロジカルに人間が営んでいる文明の優位性というようなイメージの払拭を図っているかに見えます。ミミクリ・イリンクス的な原始文化から、アゴン・アレア的な文化が生じることを文明化と呼ぶ、というようなくだりから、この傾向は顕著になります。ちょっと宇宙人的な視点に目眩を感じるには絶好の本です。 さらに詳しい情報はコチラ≫ なぜ人間は遊ぶのか。人は夢、詩、神話とともに、遊びによって超現実の世界を創る。現代フランスの代表的知識人といわれるカイヨワは、遊びの独自の価値を理性の光に照らすことで、より豊かになると考え、非合理も最も合理的に語ってみせる。 遊びと人間ロジェ カイヨワ 講談社 刊 発売日 1990-04 発送可能時期:通常24時間以内に発送 オススメ度:★★★★ 彼は、遊びのすべてに通じる不変の性質として競争・運・模擬・眩暈を提示し、これを基点に文化の発達を考察した。遊びの純粋な像を描き出した遊戯論の名著。 |
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